渋谷とお祭り

土曜、お義父さんが退院した。水道橋にある病院へ夫が迎えに行く。
娘は夫実家にすっかり慣れ、着くと嬉しそうだった。
おかあさんにも、夫兄にも随分懐くようになった。
しかしお義父さんの顔を見て号泣。
結局それは次の日帰るまで続く。


昼頃寝かしつけようとすると外で太鼓の音が聞こえ、「はなび!はなび!」と興奮しだしたので外へ連れ出した。たしかに花火の音とよく似ているなぁと思った。
祭らしく、家の目の前に立派な和太鼓が置かれていた。子どもらがそれを叩き遊んでいたので娘にも叩かせた。バチが重いようでうまく叩けなかった。

夫実家周辺だけでなく、渋谷区はその日どこもかしこもお祭りムードで浴衣を着る女子や子ども、着流しや法被を着る男達で賑わっていた。

ちょっとだけ街へ繰り出したのだが、物凄い人の数。お祭りだからというわけじゃないのかもしれないけど、とにかくすごい。目眩がしそうだった。みんな、一体なんの用事があって渋谷に集まっているのだろう、と思った。

代官山でも神輿を見た。


高層ビル群、無数の飲食店、高級ブティックや高級住宅街、といった生活感のない場所における土着的な祭を催すことへの違和感。

無機質な建物からすっかり浮いてしまっている雅な神輿の装飾と粋な格好をした人々。

それはそれでいいのかもしれないけれど、どうしてもしっくりこない。


毎日がスペシャルなこの大都会において祭というのはどんな意味を為すのだろう。

山や海しかない田舎では、祭といえば当然老若男女誰もがその日を心待ちにして、よく知った顔をつきあわせて酒を飲んだり、子供は普段できない夜遊びをしたりして、言うまでもなく特別な日だ。
 
あぁ思い出す、なにもない町の、夏祭り。

夕暮れにひぐらしが鳴いて、いつもは誰もいない神社に出店が並び、明かりが遠くからもぼんやり見えて、賑わっているのがわかって、大して美味しくもないのにその見た目からいつもりんご飴をねだり、神社の中のブランコに乗って、空はオレンジや紫色をしていて、とても綺麗で、夜風はもう涼しくて、大人達が酔っているのが楽しくて、笑い声が心地良くて…



山しかない町での話。

鹿児島での祭のことも、深く心に残っている。海に浮かぶ花火をみんなで見た夜は忘れられない。


そんな祭しか知らないものだから、都会の祭はなんだかまったく別物のように感じる。

近所の祭では、夫の地元のはずなのに、見知った顔は二、三人しかいなかった、と言っていた。
人も、街も、どんどん変わっていく。都会の宿命だろうか。




出店に行こうか、と話していたけれど、結局行かなかった。




日曜は起きてすぐ自宅へ戻り、片付けて、シャワーを浴びて、同級生達を迎える。結婚式余興の練習だ。実際にハンドベルを演奏して約5時間。日が暮れる頃みんな帰って行った。

なぜか私と夫は飲みすぎてそれから小一時間ほど寝てしまい、グロッキーになったまま今に至る。家事が滞っている。とても気になる。嫌悪感。無論、自分へも。


もうしばらく酒はやめよう。最近本当にロクなことにならない。はい、やめた。


寝なくては。また怠惰のループに陥ってしまう。おやすみなさい。

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