無気力週間

無気力状態が続いた今週。昨日はちょっと涙が出たりした。

今日も今日とて特別することもなければ行くところもなく、調べることや悩むことにも飽き飽きしてきたので、一番近くの公園へ。


一緒に走ったり、並んでブランコに乗ったり、すべり台で遊んだり、木の枝でお絵かきをしたり、楽しかった。グダグダ悩んでないで今度からは困ったらここに来よう。




土曜日も出勤だと、とてつもなく一週間が長く感じる。
週末は殆ど余興の練習で予定が埋まってしまっているし、とにかく全然落ち着かない。
早く三人で公園や海や川に遊びに行きたいのに。







とても人づきあいがヘタになった。気にしなくていいことを気にしてしまう。それは元々かもしれないけど、一気にそれらを捨て去って以来すっかりその感覚を忘れていたので、かつては普通にできていたことがとてつもないストレスになってる。

微妙な距離感や疎外感。自分で求めてそうしたにもかかわらず、ああめんどくさいな。

めんどくさい。私は。


でももう大人だから、ひとつわかっていることがある。
他人は自分のことなんて別に気にしてないし、見てないし、考えてない。皆自分のことしか大体見えてない。本質的には。だから気にするだけ時間と体力の無駄。






鹿児島はまだ暑い日が続いているだろうけど、東京はさすがにすっかり秋めいてきた。日中の晴れた日は外に出ると汗ばむほどの陽気だけど、曇りや雨の日は家の中にいても少し寒い。そろそろ半袖の季節が終わりそうだ。ちょうど世間は今日から衣替えで、暦はうまいことできてるなぁと思う。山形だと、衣替えの一〜二週間前くらいから半袖ではいられなくて夏のセーラー服の上から冬用のぶ厚いカーディガンを着ていたような気がする。



昨夜夫から言われたこと、たぶんその通りなんだと思う。
私は、たぶん、自分が生まれ育ったあの町が一番好きなんだろう。これから先あの町より好きな町ができるだろうか。

においも、季節も、景色も、土も、道も、食べ物も、風も、天気も、この体にしっかりと刻まれてしまっていて、どこへ行ってもそれらには敵わない。

何もかもいやになって飛び出したのに、あの場所だけが私の心をいつまでも引き留めている。


帰ったって、帰る場所もないのに。



だから戻りたいか、と聞かれたら、わからない。
そうじゃないんだよ、と言う。
じゃあどうしたいの?と夫は訊ねる。私自身それがわからないのに答えようがない。




でも、東京は子育てに向いてないと改めて思う。特に小さい子供の子育ては。毎日、思う。


どうにかしてこの無気力状態から抜け出したい。


ああ、頭の中を空っぽにしたい。
何も考えたくない。

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