さらば鹿児島

東京に引っ越した。3年間過ごした鹿児島を離れるのは寂しく、後ろ髪を引かれる思いもあったが、感傷に浸っている時間などなくバタバタとやってきた。

福岡まで車で北上。高速を飛ばして2時間ちょっと。会いたかった人に何年かぶりに会った。子供達は随分と大きくなり、美しかったお姉さんの顔には深い皺が刻まれていた。どれだけ苦労したのかが伺える。

福岡に行くといつもお世話になる夫の友人宅へ。ナイスな夜を過ごした。

門司港へ向かい、日も落ちた頃乗船する。
旅客船というのは激しく旅情を掻き立てられる。
デッキに立つと漆黒の海と空が広がり、強い風に煽られる。娘は何度もデッキに行こうと催促した。天気が良かったら満天の星空だったのだろうなぁと思うと惜しい気もしたが、それはそれでよかった。
寝床のシャッターが気に入ったらしく、それでも何度も遊んでいた。静かに、と静止するのに必死だった。
風呂場には大きな窓があり、陸の明かりが点々と見えた。おばさんが「今ごろ広島あたりかしらね」なんて話しかけてきた。
カップラーメンをすすり、ロビーや船内をうろうろする。娘はいつまでも眠る気配がなかった。
それでもようやく寝かしつけ、夫と二人で窓辺のソファに座り乾杯。船が気に入ったようだった。また乗りたいねと。

一人用の寝床に娘と一緒に寝るのに難儀して、うまく寝付けなかった。

あっという間に朝になり、また風呂に入る。天気が悪く陸はよく見えない。そのかわり沢山の船とすれ違った。海には、沢山の船がいる。

夫が先に朝食へ。
すぐに娘が起き出し、合流しようと食堂へ向かう。そのときちょうど明石海峡大橋をくぐった。
3人で朝食。私は旅先の朝食が大好きだ。だって夜ご飯や昼を外食することはあっても、朝どこかで食べるなんてことはしない。この朝食がいかにも「旅」という感じがして、好きだ。パンもごはんも食べるし、納豆も味付け海苔もスクランブルエッグもフルーツもオレンジジュースも牛乳もコーヒーも大体何もかも食べる。


大阪に着いた。朝8時。一晩中車内で過ごした猫も無事だった。

ほとんど寝ていなかったので、大阪、京都、滋賀あたりは記憶がない。夫には悪いが寝ていた。高速から見る大阪は大都会だった。大阪城も間近で見れてラッキーだった。

名古屋あたりから運転を代わり、東京まで。初めての東名高速

長い道中、娘の機嫌を案じていたが予想とは裏腹にずっと大人しく乗ってくれていた。


夫の実家のある広尾に到着。時間は覚えてない。まだ明るかったような気がする。


それから3日ほど広尾にお世話になり、新しい住まいがある調布へ移った。





3年間、あっという間だった。
最初は山奥の別荘に住まわされ、目の前で鹿と遭遇し恐怖に慄いて。
結局本家の海沿いの町へ移り、家を片付け、掃除し、新しい生活が始まって。
妊娠して、それからはずっと、穏やかな毎日。
よく歩き、海や川や草や花や風や動物と戯れた。
子供が産まれてからはなおのこと。
抱っこひもをつけて毎日歩いた。
雨の日も、台風の日も、灰が降る日も、暑くてたまらない日も。
近所の人たちも実に良くしてくれた。
恵まれていた。

桜島が浮かぶ錦江湾を、決して忘れないだろう。
網掛公園の花々も、日豊本線も、国道10号線も。
静かな町での静かな暮らし。
夫が出張ばかりでいなかったあの辛い毎日も、今となってはいい思い出。

あの家で、娘と猫と過ごした毎日。
娘はたった2年しか鹿児島にいなかったけど、きっと忘れてしまうのだろうけど、大切なふるさとなのだと、ここで生まれ育ったのだと、それはそれは幸せな毎日だったと、いつか伝えたい。

雨の多い町。
太陽が照りつける町。
灰の降る町。

海にうつる月や、潮騒の香り、海に吸い込まれそうな星空。
最後にみんなでみた花火と流れ星。
どれもこれも忘れたくないなぁ。

私を大きく成長させてくれた鹿児島に感謝。
さようなら。ありがとう。


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